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木材糖化技術の進歩

昭和中期における木材の糖化技術は、リグニンやヘミセルロース、セルロースを区分せずに分解したため、甘い糖蜜が製造できましたが、結晶ブドウ糖はやや困難だったようです。このためこの糖蜜を原料として、エタノール生産や酵母培養を行っていました。

糖蜜から結晶性のグルコースを得る技術は困難で、塩の添加による結晶の成長技術や、ブドウ糖の純度などが作用するなど技術的な課題の解決が困難であったと思われます。

昭和中期のグルコース製造

昭和中期の日本においては、購入外貨の割り当てや砂糖不足もありグルコース製造の工業化を目的とした産官学の共同研究が盛んとなりました。この取り組みについては、以前にも書いたことですが、北海道法及び野口研究所法が結果を残しています。北海道法は詳細な技術報告書としてまとまっております。

昭和中期の日本は技術立国として電子工業、中型国産航空機、工作機械、新金属材料等と共に木材化学が産業の柱として育成の対象となりました。注目するのは、バイオリファイナリーを念頭にした木材化学です。木材の利用は、単なる加工技術で家を造る材料などが主流ですが、化学の資源として初めてスポットライトを当てたのかと思います。石炭を資源とする石炭化学、石油を資源とする石油化学に続きいよいよ木材化学が登場します。

ここからは、エフ・コピント富士書院発行の「わが国における木材加水分解工業」1)の緒言からの引用を書いてみます。
この木材化学は、(1)木材糖化技術 (2)フルフラールの生産技術 (3)リグニンの有効利用を主たる目的としていました。

また、当時の農林省は所轄事業の中に木材と共にブドウ糖があったことから、1960年頃に「甘味資源の自給」を目的として、木材糖化技術開発を支援していました。この段階では、糖蜜から結晶ブドウ糖へと明確な目標があったと思われます。木材の糖化技術開発には通産省も本腰を入れて支援をしました。

濃硫酸法によるアルコールとブドウ糖の製造では、静岡にて杉を原料に濃硫酸法により、1トン/日でプラントが稼働していました。このプラントでは、ヘミセルロースを分離し、キシロース結晶も製造していました。結晶性ブドウ糖の製造には、ヘミセルロースの分離技術が、アルコールの製造には酵素阻害物質であるフルフラールやヒドロキシメチルフルフラール対策が必然となることから、この工場では一定程度の技術的課題をクリアーしていたと思われます。

このような環境の中で、濃硫酸を用いる独自技術での北海道法は、1959年に北海道木材化学(株)として発足しました。塩酸法である野口研究所法を基本技術とする日本木材化成工業(株)は1960年に設立され、和歌山県にて工場を建設し、結晶ブドウ糖として3万トン/年、液化リグニンを2万トン/年を目指していました。

現在からみれば、甘味料としての砂糖であり、ブドウ糖にすぎませんが、1960年初頭での砂糖価格は非常に高価なもので、甘みの原料供給が切実な課題であったことがうかがえます。

日本における木材糖化技術開発は、通産省の指導のもとに補助金の形で進行しました。この補助金での研究課題については緒言の中にリストが載っているので、今後の参考のために年代別に整理して転記してみます。
昭和29年 アルコール製造、福泉醸造工業
昭和30年 フルフラール製造、道立林業指導所、道立工業試験所
昭和30年 塩酸法による木材糖化とセルロース誘導体製造、野口研究所
昭和31年 リグニンの液化と芳香族炭化水素の製造、野口研究所
昭和32年 フルフラール及びその誘導体の高収率製造法、野口研究所
昭和33年 濃硫酸法木材糖化、道立林業指導所
昭和33年 フルフラールと高品位セルロースの同時製造法、保土ヶ谷科学

また、当時考えられていた木材の加水分解生成物とその用途についても一覧を転記してみます。現在の視点から考えると違和感がある分野もありますが、いまだ達成されていない課題も多々あるかと思います。
・ヘミセルロースの用途
酢酸、フルフラール、酵母、キシロース
・セルロースの用途
ブドウ糖、クエン酸、乳酸、ビタミンC,B2,B12、イタコン酸、フマール酸、レヴリン酸、エタノール、アセトン、イソプロパノール、ブタノール、ブチレングリコール、酵母、糖蜜、グリセリン
・リグニンの用途
土壌改良剤、燃料、揮発油、プラスチック原料、ゴム充てん剤、活性炭、バニリン

これらの用途に付いてどのように感じられるかは人さまざまかと思いますが、いずれ、石油の枯渇と共に、オイルリファイナリーとバイオリフィナリーが共存する社会が来るものと思われます。

1)北海道法を考える会(三浦清)編、「わが国における木材加水分解工業」、エフ・コピント富士書院(株)発行(平成9年)